2016年6月14日火曜日

アメリカの銃社会。日本との大きな違い

 アメリカで大きな銃乱射テロがあり、百人を超えるという多くの死傷者が出ました。

 しかし我々には「銃乱射」と言われてもピンと来ないかもしれません。
 「何か恐ろしいことが起こった」というくらいにしか感じないと思います。

 それはなぜか?

 日本は「銃とほとんど無縁」の「銃なき社会」が定着しているからです。

 なぜそうなったかというと、元々日本では「銃よりも刀」という武士文化があったのもありますが。
 太平洋戦争の敗戦によって国土全ての武装解除が行われたこと。
 「戦力を持たない」と憲法で決められたことで、銃自体の需要が大きく廃れたこと。
 戦後のヤクザ抗争や赤化闘争への対処から、残された銃器もほとんど回収されていきました。

 あまりにも銃が社会から放逐されたせいで、銃を求める意見もあります。 
 例えばスポーツ射撃などは日本では中々できる場所がありません。
 実弾が撃てない文化はエアソフトガンの需要を生み出し、精巧で高価な玩具が出回っていますね。
 海外ではエアガンを持っていると警察に射殺されてしまう危険があるので銃口を赤く塗らなければならないとか何とか聞いたことあります。
 日本ではそういう制限はないです。

 一方でアメリカの銃社会は、極めて深刻です。

 拳銃の売買程度であれば、合法化されている国も多いし、その威力も限られているので大問題ではありません。
 いわゆる拳銃に属する武器は、威力が低く、命中率も高くありません。
 大口径の弾薬なら別ですが、急所に当たらなければ死ぬほどのダメージを与えられません。
 また、50mも離れるとほぼ当たりません。止まっている的に当てるだけでもかなり困難です。

 仮に事件を起こしたとしても、警察の方が強力な武器を持っていれば、すぐに捕まるでしょう。

 ところがアメリカでは、アサルト・ウェポンと呼ばれる強力な軍用火器の民生型が出回っています。





 AR15は特に大問題だと思います。
 これは軍用銃であるM16やM4とほぼ同じ機構を持つアサルト・ウェポンの一種です。

 威力は極めて高く、ヘルメットや防弾チョッキを貫通します。
 人体に命中すれば行動不能は確実で、急所に当たらなくても致命傷を負うことがあります。
 例えば横から腕に命中するとそのままブチ抜いて胴体に入り内臓を食い破ったりします。
 500m程度なら正確な射撃が可能です。

 M16やM4との違いは、フルオート射撃やバースト射撃ができないことです。
 1発ずつしか撃てないから大丈夫だろう、とアメリカ人は思っていました。

 



 もっとも抜け道はいくらでもあるものです。
 グリップを交換して自動で引き金を繰り返し引く「スライド・ファイア」や「バンプ・ファイア」を使えば簡単にAR15でフルオートが楽しめたりします。

 結局規制なんざ何の意味もなかったんですが、単発しか撃てないセミオートのモデルだとしても、今回の事件では100人以上を殺傷できるだけの威力と射程と命中精度を見せつけました。

 拳銃程度であれば、銃声を聞いて逃げだすだけで被害の多くは軽減されます。
 先に書いたように射程が短く命中精度も低いからです。全力ダッシュで50m逃げ切ればまず当たらない。
 弾数も多くてロングマガジン使用の20発程度でしかありません。
 
 AR15は通常のマガジンでも30発、100発装填可能な渦巻きマガジンも普通に売られています。
 それでいて人体やドアや机くらいなら貫通してしまうんですから被害は激増する。
 500mでも狙えるだけの精度があって反動も小さい。
 銃声を聞いてから全力で逃げ出しても、100mやら200m程度ならしっかり狙われたらおしまいです。

 まあこんなことを書いても銃マニアでない人には通じない感ありますね。

 要は、アメリカでこういう武器が「街中で普通に売られている」ということが大問題なわけです。
 警察でさえ鎮圧に手を焼くような軍用火器を一般人がぽんぽん買えてしまう状態です。

 このAR15という武器ですが、「アメリカのだいたいの人が使ったことがある」というところもあります。
 M16、M4はアメリカで徴兵されたり志願兵になれば必ず持たされるライフルです。
 AR15はそれらと全く同じようなメカニズム。つまり、軍経験者なら、誰もがこの銃のプロということです。

 そういう事情もあって、この銃が出るところは常に大規模な凶悪犯罪になりがちです。
 オバマ大統領が事あるごとに銃規制を訴えているのは当然でしょう。

 このようなアメリカの例を見るに、「銃なき社会」日本は随分マトモだってのが分かりますね?
 クソガキが面白半分に銃をぶっ放して他人を殺すとか日本ではまず起こりません。

 日本の規制がどれくらい凄いかというと…。

 「不法に銃を所持すると捕まる」
 「不法に銃弾を所持すると捕まる。さらに銃に装填すると罪が重くなる」
 「不法に銃を輸入すると捕まる。話に関わるだけで捕まる」
 「不法に銃を製造すると捕まる。密造しても技術がなく粗悪品しか作れない」
 「上記の『不法に』が海外より数百倍厳しく、一般人はまず合法所持に手が出ない」
 「日本に入る密輸品が海外ではガラクタレベルの粗末な銃(それでも買うという意味)」
 「管理が極めて厳しく警察や自衛隊が薬莢を毎回持ち帰る」
 「民間需要がほとんどないので軍民問わず価格が法外レベル」

 とかいう信じられない銃規制ぶりです。
 むしろこれが世界のスタンダードになればいいと思うんですよね。

 fin

2016年6月11日土曜日

ソーシャルゲームに騙されてしまう若者たち

 最近私の周りでこういう話を聞く。

「デレステで2万ガチャ引いて欲しいのが出なかった」
「ミリアサで30万使って欲しいのが出なかった」

 何を言っているのか分からなかった。
 自分の友人や知り合いが続々とこういう愚痴を言い始めたのだ。

 ソーシャルゲームにガチャポンという課金要素があって、それに何万円もかけて欲しいアイテムを手に入れる、というのは分かっていたんだけど。
 何万円も使って「手に入らなかった」という意見をあまりにも多く聞いて愕然とした。

 私は30歳だが、我々が子供のころ(20年くらい前)は、ゲームを買うと言っても1万円くらいで済んだものだ。
 それを遥かに超えるような多額の課金をして、あまつさえ「欲しいアイテムが手に入らない」とは何事か?
 聞くだけで虫唾が走るし、正直イラっとする。

 で、僕は言うのである。「返金してもらいなさい」

 1万超えたら遊びではない。返金は当然求められる。8日以内ならクーリングオフが有効だ。
 10万以上なら民事訴訟も辞さない覚悟で挑めば良い。やる気があれば確実に全額取り返せる。

 ところが、友達の返事はというと、「いや、運がないだけだから…」
 それで泣き寝入りして終わってしまう。

 何で?

 僕には全く理解できない話だったので、よくよく話を聞いてみることにした。
 グランブルーファンタジーというゲームが売れているらしいので、自分でもやってみることにした。
 当然、金などかける気は一切ない。こんなゲームにまじになっちゃってどうするの。

 すると、若者がソーシャルゲームに搾取されてしまう、その仕組みが良く分かったのである。

「ゲームバランスが極めて悪く課金を前提としている」

 最初は簡単にクリアできる。1分もかからずボタンを押すだけで敵をボコボコにできる。
 昔のゲームより遥かに難易度が低い。小学生レベルの難易度から始まる。

 少しゲームを進めると、無料でそれなりに良さそうなアイテムがもらえる。
 強そうなキャラクターも手に入る。
 レベルも上がるし何だか良い気持ちになってゲームをぽんぽん進めてしまう。

 …ここまでを意図的にやっている。
 私はゲームクリエイターを志望していた時期もあった。
 どういう意図でどういう数値を設定しているのか、それが分かる程度にはゲームを研究している。

 ゲームが死ぬほど苦手な人でもない限り、「序盤で苦労することはまずない」。
 このことを最初にしっかり植え付けておくことがポイントだ。

 いくつかステージを進むと、ソーシャルゲームはいきなり「毒牙を向いてくる」。
 明らか今のHPでは耐えられない「一撃必殺級の技」をブン回してくる。
 1980年代のファミコンゲームに慣れている人なら大したものではないが、2016年の今をときめく子供たちはとんでもない精神的ダメージを負うだろう。

 そして言うのである。「回復アイテムを使えば全員復活できます」
 これで子供たちは何のためらいもなく100円の回復アイテムをぶち込むことができる。

 ゲームが終わってトップページに戻ると、「ガチャポンで強力な装備を手に入れよう!」とか、可愛い女の子がギリギリの露出度で誘惑しているキャンペーン広告がズラっと並べられている。
 これらの課金アイテムを使えば、先ほどの一撃で殺してくるクソバランスの敵でも、ボタン連打するだけで簡単に圧倒できてしまう。

 ゲームによって課金の度合いは変わるだろうが、概ねこのようなバランスでソーシャルゲームは成り立っている。
 バランスもそうだし女の子のイラストや有名声優を使ったプレイヤーの誘惑にも余念がない。可愛い子が欲しければカネを出せ。見事な商法だと関心するし、呆れる。

「一応アイテムが手に入る、という贖罪」

 ガチャポンを回すと、97%くらいはハズレのどうでもいいアイテムが出てくる。
 これらは強化素材として使うことができるので、完全に無駄というわけではない。
 そのことがプレイヤーに「騙されている」という気持ちを起こさせない抑止力として機能している。

 実際、ゲームの中で真面目に使うことができる有用なアイテムは3%程度の確率で出てくる。
 SSRとかそういう良さそうなレアリティをしている。

 ガチャポンの価格は1回300円である。これは極めて高いと思う。 
 ただのデジタルデータ買うために300円とか私に言わせれば馬鹿馬鹿しいぼったくり課金だと思うのだが、若者たちにはそういう気持ちはないと思う。

「隠蔽される、本当の課金額」

 先に、SSRは3%の確率で出てくると書いた。
 ガチャポン1回は300円である。
 では、何でもいいからSSRを引きたい場合、いくらお金がかかるのか?

 ここで、高校数学の知識が必要になる。具体的には確率。
 確率のことを「確立」と書くような人はその時点で騙されると思った方がいい。

 3%の確率でSSRが出てくるとき、何か1枚SSRを引くために必要な期待値、即ちガチャを引くだろう回数は、100% ÷ 3% = 33.333…回である。
 総確率は100%だから、それを実際の確率で割れば、期待値が出てくることになる。
 ガチャポンは1回300円だから、何か1枚SSRを引くために必要な期待金額は、300円 × 33.333…回 ≒ 10000円となる。

 つまりSSR1枚引くのに1万円もかかるってことです。
 こう書くと高そうに見えませんか? 少なくとも僕はやりませんね。

 真面目に勉強やって確率くらい解けますよって人はガチャなんか手を出さないと思いますが。
 数学が苦手な人はこういう問題が解けないせいで、あっさり騙されてしまうというわけです。
 学校のお勉強は遊びでやってるわけじゃないんですね。

「特定の欲しいカードが出ないのは何故か?」

 それでも1万円出せばSSRは出る。
 僕はお金があるから、たくさん投資してアイテムを手に入れるんだ! という方もいるでしょう。
 ゲーム内ではガチャポンの確率が上がるキャンペーンもあります。
 そうやって出やすくなるんだから、お金をかけ続ければ、絶対出るはずだ! そうお考えになる人がいるかもしれません。

 なまじお金があるぶん、20歳すぎたくらいの大人ほど、危険だと言えます。

 最初の話題に戻りましょう。僕の友達は、「(特定の)欲しいカードが出ない!」と嘆いていました。
 それが出なかったのは、「運がなかったからだ…」つまり、「SSRは出たけど、それが目当ての1種類ではなかった」ということが、がっくりした理由だと言うことが分かります。
 他のSSRは出ているわけだから、返金要求するのも気が引ける…そういう気持ちがあるのでしょうね。

 だがちょっと待ってほしい。その欲しいカード、「本当に出るのか」?

 グラブルでは1週間で80万円をつぎ込んでアンチラが出なかった人もいて、返石騒動が起こりました。返金ではなく返石、つまり同等のガチャを引ける権利を返した。
 企業対応としてはどうかと思いますがね。

 何でそんなことになるのか。多くのユーザーからの圧力があり、確率が公開されました。
 これを見てください。



 画像はグランブルーファンタジーの画面をキャプチャーしたものです。
 これが各アイテムごとの実際の出現確率となります。
 出現率UPとなっているのは、その時のキャンペーンによって「出やすくなっている」ことを示します。

 これだけ見ると、確率が小さいのはわかりますが、じゃあ欲しいのが手に入るのにどれだけの投資が必要だと推定されるのか、までは分かりにくい。
 「分かりにくい」というところに問題がありますね。実際に計算しましょう。

 例えば有名な強くて可愛い召喚石、ジ・オーダー・グランデちゃんが欲しい!としましょう。
 ジ・オーダー・グランデを引く確率は0.009%です。
 ガチャポン1回300円です。さっきと同じ要領で計算すると…

 ガチャを引くだろう回数
 100% ÷ 0.009% = 11111.111…回

 ジ・オーダー・グランデを引くために必要な期待金額
 300円 × 11111.111…回 ≒ 3333333円


 (´・ω・`) …


 (^ω^) …


 (´゚д゚`) はうぁッ!


 333万円だと!?
 馬鹿な、ありえんッ!

 もちろん確率はその時のキャンペーンによって前後するわけですが、「マトモにやってたらまず欲しいアイテムを引くことは無い」ということは十二分に伝わるかと思います。
 現在ではさすがにヤバいと思ったのか、「300回ガチャを引いたら決められたアイテムと引き替えます」という条項がつけられました。
 ですが、それでもアイテム1つに9万円も課金しろと言うのはゲーム会社としてあるまじき態度だと言わざるを得ないですね。

「ゲーム企業から倫理が失われ、詐欺まがいの商売が横行している」

 上に書いたような「有り得ない確率」をユーザーに押し付けて、ソーシャルゲーム業界は多額の利益を得ているわけですが。
 私はこうしたゲーム会社の「失われた倫理」に非常に危機感を覚えています。
 正直な話、詐欺罪で訴えられても文句を言えない領域まで来てるわけですよ。

 本当に大丈夫? 逮捕されても知らないよ?

 繰り返すようですが、僕が子供の時には1万円も払えばゲームを全て遊ぶことができた。
 お金のかかるアーケードゲームをやっていても、月に5万円を超えることはそうそうないし、対戦をしたり友達とわいわい遊べる場をもらってるわけだから、ガチャポンのように無駄なお金を使ってるわけじゃありません。

 一体どうしてゲーム業界はこんなに悪くなってしまったのか?
 そう僕は嘆いています。

 子供たちを騙してまで企業の利益を追求するのは、止めてほしいと思う。

なぜ個人消費は上向かないのか?

 最近見たニュースの中で「個人消費が伸びない」という政府関係者のコメントがあった。

 個人消費というのは景気の指標だ。
 消費が多く貯金が少ないほど、景気は好循環している、とされる。

 ならばなぜ、個人消費の増加が鈍いのか。

 それは、日本独特の賃金方式によるところが大きい。
 「年功序列」という古い方式が未だに日本を支配しているのが一つの理由だ。

 私の会社では高卒で入ってきた新入社員の基本給が「14万円」という話を聞いた。
 14万円×12か月で年収168万円である。これに残業代と夜勤手当とボーナスなどが支給される。
 概ね200~250万円程度の年収が得られることになる。

 よくよく考えてもらいたいが、「年間たったの250万円ぽっち」で、若者は何が買えるというのだろうか?
 普通車1台買えば年収の半分が消えてしまう。2台、3台買うことはできない。
 良い食事、良い家電、良い住宅。何も買うことができない。

 したがって「安いものばかり買う」ことになってしまう。
 軽自動車を買い、300円の食事をして、中国製の家電を買い、ボロボロのアパートに暮らすしかなくなるに決まってる。
 若い世代が貧しい生活を強いられているのに「個人消費が伸びない」のは、当然だと言わざるを得ない。

 ならば、日本はそんなに賃金を下げるほど「貧しい」のか? という話になる。
 企業は黒字決算をしっかり出しているし、経営危機に陥っている会社が特段多いとは言えない。

 単純に、「企業がケチなだけ」の話だ。

 若い世代に賃金を多く払うと人件費が増えるから、年功序列制度にしてさっさと転職してもらって、より若い社員を入れて黒字を増やそうっていう経営者の浅はかな考え方が根底にある。
 新入社員に「基本給で年収300万ぽっち」出せない会社が亡国を招いていると私は思う。

 重要なことは、国家がそうした現実に対して、適切な指導を進めていくということだ。
 近年になってようやく厚生労働省からの指導通達が増え、過重労働への対応が厳しくなった。これは評価すべきことだ。
 我々日本人は長年にわたって労働者軽視の国家を続けてきた。見かけの数字だけ経済大国になって中身を追い求めてこなかった。
 そしてそれが経済を停滞させていることに、ようやく気付きつつあるわけだ。

 個人消費が増えないことには別の理由もある。
 消費旺盛な若者の人口が減っていること。即ち少子化だ。

 子供を増やすことはそんなに難しいことではない。結婚してセックスすれば人口は増える。
 大して難しいことではない。他の国はちゃんと人口が増えている。
 日本人が特段EDがひどいというわけじゃないだろう。

 ならばなぜ子供の人口が増えないのか?

 「養育費が高い」ことが指摘されている。これは確かに理由の一つと言える。
 大学入学を前提として、子供一人当たりの養育費はトータルで3000万円という説もある。
 先に書いたように、若者の所得が低い状況では子供を育てるのが難しい、という事情はあるかもしれない。

 しかしそれ以上に問題なのは、「子供を複数生み育てていく」という「社会的な雰囲気の欠如」だ。
 子供は2人3人いて当たり前、4人5人育てても良い、そういう風土が日本には無い。
 CMを見てほしい。子供を2人あるいは3人出演させる広告が、世の中にどれだけあるだろうか。
 たいていのCMは1人の子供だけが出演して終わっていないだろうか。

 これは民間企業に問題があるわけではない。
 国家主導で「人口を増やしていく」という明確な計画を持って、各企業に多産へのイメージアップを求めていないことの証左である。
 かつて日本には「産めよ増やせよ」のスローガンがあり多産が奨励された時期もあった。
 現在では女性軽視のシンボルのように扱われているが、今こそ国家主導というものが必要なのではないかと感じる。
 人口が減っていくようなことがあれば、国家の経済は、持たない。

 第三の問題として、金融市場の硬直化があった。

 過去形になっているのは、この第三の問題を解決しようという取り組みが、「アベノミクス」だったからだ。
 銀行をはじめとした金融市場がとにかくリスクのない「安全な」取引を繰り返して、市場を硬直させていた。
 その解決のため、口先を含めた為替介入やインフレターゲット、マイナス金利の導入など、色々なことをやって金融市場を動かして投資を活発化させ、それによって個人消費の増大につなげていく、というものがアベノミクスだった。

 結論から言えば、アベノミクスは一定の成果を上げたと言える。

 少なくとも企業間取引や債権市場、ローンなど、銀行を介する取引に関しては、一定の刺激材料となった。
 業種によっては大きな利益を上げて黒字拡大に繋がり、賃金向上を達成できた。
 それは事実であるし評価材料だと思う。

 経済対策のために大型の予算を執行していること。また、税収の増加によって得た資金を介護分野など問題の多い業種の待遇改善に振り向けていくという発言もある。
 私としては例え一部であろうとも景気刺激を達成できたことは前向きに受け止めるべきだし、以前までの政権にはできなかったことだと思う。

 ただ、日本全体に好景気が波及しているかといえば、Noだ。

 アベノミクスを大成功であると評価するためには、国家全体の所得が大きく向上した、ということにならなければいけない。
 東京や神奈川の景気がいくら良くなっても新潟は不景気です、それでは困るのだ。
 
 最初に書いた「個人消費が上向かない」という政府のコメントは、すなわち国家全体に景気刺激が行きわたっていないこと。それを示している。

 金融市場を活発化させることは短期的な景気刺激になるが、結局国民の大半が低賃金で、人口も増えないのでは、長期的な景気改善というものは望めない。
 「貧しくなった日本」という現実を変えることは難しい。

 「なぜ個人消費が上向かないのか?」と考えることはこのように容易にできる。

 次にするべきことは、「どうやったら上向くのか?」という方法論になるだろう。
 例えば「最低賃金を上げる」というのは一つの解決策になる可能性がある。
 時間がなければ子育ては難しいものだ。人口増加のためには「共働きを減らす」という考え方もできる。

 今後の政府の動向を、しっかり見守っていこうと思っている。


原子力発電所の必要性

 唐突であるが、皆様は「原子力」についてどのように認識しているだろうか?

 恐らくは、多くの人が「危険なもの」と答えるだろう。
 あるいは、「何か凄いもの」と答えるだろう。

 実際この認識は間違っていなくて、原子力というものは「何か凄いもの」であり、「危険なもの」でもある。

 原子力というものは、我々の世界の根源である原子(核)の結合、あるいは分離によってエネルギーを取りだす手法であり、そのエネルギーというものは凄まじいものがある。
 兵器として使用すれば、小型の爆弾でも数十万人を殺傷し、都市一つを「消滅」させるだけの破壊力を生み出す。
 それだけのエネルギーを持っている原子の力を少しずつ取りだそうというのが「原子力発電」であり、ほとんど燃料棒を交換することなしに、長期にわたって、莫大な電力を生み続けることができる。

 ほとんど永久に動き続ける空母、何か月も浮上しない潜水艦、そうしたものを実現してきた。かつて原子力は、「夢の力」だったのだ。


http://matome.naver.jp/odai/2143747011714813501
から画像を引用

【原子力潜水艦】

 原子力による「ほぼ永久持続」の発電によって、海水から電気分解で酸素を生み出し、浮上する必要が無い。極めて長期にわたる潜水作戦が可能。
 浮上することもあるが、それは中の乗員が疲労で音を上げてギブアップするためである。基本的に一切浮上することなく航行を行う。核兵器を搭載しており、世界中に核ミサイルの脅威を与えることができる。
 この兵器(他にもあるが)の登場により、「核抑止力」は確実に機能することになり、「核兵器を発射したら海のどこかから核兵器で報復する」「よって核兵器は撃てない」という報復論理が「完成」した。


 原子力を利用した核兵器は、人類滅亡の危機を現実のものにしたが、一方では大国同士の戦争を未然に防ぎ、世界平和の礎となった部分もある。
 それは、核兵器を使用すれば確実にお互いの国家が滅ぶためである。核兵器を持つことが核戦争を抑止するという論理は現在も生きていて、我々人類間における厳然たる事実である。我々はこの「使えない兵器」に今も脅威を感じている。
 余談だが、最近問題になっている北朝鮮の核開発は、自国を滅ぼされたくないから報復兵器を持ちたい、という理由によるものである。

 冷戦期の核兵器の開発は、同時に「核の平和利用」への関心を引き出してきた。
 原子力発電所の発揮する莫大な発電量は、経済発展のために不可欠である、と考えられてきたからだ。それによって我々はほとんど停電することのない潤沢な電力を得ることに成功した。

 火力発電ではCO2が発生するし、水力発電は大型の施設が必要で雨に左右される。太陽光や地熱では出力が小さい、などの理由から原子力発電は推進されてきた。
 いま新潟のテレビでやっているような東京電力の見苦しい「安全を守りたい」CMは、要するに原子力発電を動かしたいという意思の表れでもある。

 しかし我々にとって重要なことは、原子力発電を動かしたいという「利権的な意思」ではなく、「原子力発電が今必要か?」という議論である。

「原子力発電を停止したのに、大規模な停電は起きなかったじゃないか」

 東日本大震災の後、ほとんどの原子力発電が停止して、代替として火力発電が多く稼働した。
 旧来から日本では予備電力施設として火力発電が維持されてきた。信頼性に優れた発電方式であり、例えば核燃料が輸入できなくなるなど、不測の事態に備えて残してあったものである。
 これが多数稼働したことで、確かにCO2の排出量は大幅に増加してしまった。しかし、懸念されていた大規模な停電は起こらなかったし、節電を呼びかけることも最近では少なくなった。
 
 要するに我々には、原子力発電が生きるためにどうしても必要、と言うわけでもなかったわけだ。

 特に必須でもない原子力発電をなぜ再稼働したがるのか。それは電力会社の資産の問題である。
 全てを廃炉にしてしまうと、減価償却ができなくなるので、大幅な特別損失を計上しなければならなくなる。電力会社はそれが嫌なのだ。
 たったそれだけのことで、事故があれば確実に地域全体が汚染される、リスクの高い原発を稼働しなければならない、と主張するのは、あまりにも自己都合が過ぎる。

 この問題に関しては、確かに電力会社の経営が悪化して破綻ということになれば大問題だが、国が責任を持って全ての廃炉費用を計上すれば済むことである。そのために我々の税金を使うべきである。
 電力会社の経営や雇用に不都合が出るならば、国家が適切に処理するべきだ。
 おそらく我々国民も、廃炉のために予算を出すことはやむを得ない、と賛成の意思を示すのではないか? と私は考えている。

「原子力発電の計画的廃止を進めなければならない」

 そもそも原発というものは、「昭和」の技術である。
 古臭くてダサくて危険で時代遅れである。現在の時勢に合う発電方式とは言いがたい。
 別に私は某党のような熱心な反国論者じゃないし、原発ゼロなどというすぐには実現困難な意見を真面目に支持するわけじゃないが、自民党の言う「原子力発電の再稼働」には一切理解を示していない。

 僕に言わせればあんなものは昭和の古い技術であり、木炭火力発電みたいなレトロな代物だ。計画的に廃止をすすめることに何ら異議は無い。
 大概の日本人にはどうも「事故を起こさなければ安全」という考え方があるようだが、全く理解できない考え方である。
 人間はミスをするし間違いを犯す。事故は当然起こるものだ。事故を起こす前提で物事はなされなければならない。

「事故を起こしても、なお安全でなければならない」

 この考え方は特にロシア人が優れている。
 ロシア人は色々な文化と民族があって、その教育の度合いもまちまちだ。自分の名前すら書けない人もいれば、一流のエリートもいる。
 誰が物を使っても同じように使えることがロシア人にとって重要な価値観なのだ。

 日本人はともすれば他人を信用しすぎるところがあって、誰もが完璧に動く「だろう」と甘い見通しで機械を作ることが多い。
 私は日本製の生産機械を色々と見てきたが、全てにおいて共通しているのは「理想通りに動いていれば優れているが、ひとたび予想外のことが起これば深刻な事態を招く」ことだ。

 このような精神性で機械を作っている民族が、原子力発電所など運用できるわけもない、と私は日本人として自戒を込めて言いたい。

 事故を起こしてもなお安全、という領域に達していない物を使ってはならない。
 原子力発電は事故を起こせば終わりなのだ。

 そのことを我々は、福島から学んでいくべきだ。