2016年6月11日土曜日

原子力発電所の必要性

 唐突であるが、皆様は「原子力」についてどのように認識しているだろうか?

 恐らくは、多くの人が「危険なもの」と答えるだろう。
 あるいは、「何か凄いもの」と答えるだろう。

 実際この認識は間違っていなくて、原子力というものは「何か凄いもの」であり、「危険なもの」でもある。

 原子力というものは、我々の世界の根源である原子(核)の結合、あるいは分離によってエネルギーを取りだす手法であり、そのエネルギーというものは凄まじいものがある。
 兵器として使用すれば、小型の爆弾でも数十万人を殺傷し、都市一つを「消滅」させるだけの破壊力を生み出す。
 それだけのエネルギーを持っている原子の力を少しずつ取りだそうというのが「原子力発電」であり、ほとんど燃料棒を交換することなしに、長期にわたって、莫大な電力を生み続けることができる。

 ほとんど永久に動き続ける空母、何か月も浮上しない潜水艦、そうしたものを実現してきた。かつて原子力は、「夢の力」だったのだ。


http://matome.naver.jp/odai/2143747011714813501
から画像を引用

【原子力潜水艦】

 原子力による「ほぼ永久持続」の発電によって、海水から電気分解で酸素を生み出し、浮上する必要が無い。極めて長期にわたる潜水作戦が可能。
 浮上することもあるが、それは中の乗員が疲労で音を上げてギブアップするためである。基本的に一切浮上することなく航行を行う。核兵器を搭載しており、世界中に核ミサイルの脅威を与えることができる。
 この兵器(他にもあるが)の登場により、「核抑止力」は確実に機能することになり、「核兵器を発射したら海のどこかから核兵器で報復する」「よって核兵器は撃てない」という報復論理が「完成」した。


 原子力を利用した核兵器は、人類滅亡の危機を現実のものにしたが、一方では大国同士の戦争を未然に防ぎ、世界平和の礎となった部分もある。
 それは、核兵器を使用すれば確実にお互いの国家が滅ぶためである。核兵器を持つことが核戦争を抑止するという論理は現在も生きていて、我々人類間における厳然たる事実である。我々はこの「使えない兵器」に今も脅威を感じている。
 余談だが、最近問題になっている北朝鮮の核開発は、自国を滅ぼされたくないから報復兵器を持ちたい、という理由によるものである。

 冷戦期の核兵器の開発は、同時に「核の平和利用」への関心を引き出してきた。
 原子力発電所の発揮する莫大な発電量は、経済発展のために不可欠である、と考えられてきたからだ。それによって我々はほとんど停電することのない潤沢な電力を得ることに成功した。

 火力発電ではCO2が発生するし、水力発電は大型の施設が必要で雨に左右される。太陽光や地熱では出力が小さい、などの理由から原子力発電は推進されてきた。
 いま新潟のテレビでやっているような東京電力の見苦しい「安全を守りたい」CMは、要するに原子力発電を動かしたいという意思の表れでもある。

 しかし我々にとって重要なことは、原子力発電を動かしたいという「利権的な意思」ではなく、「原子力発電が今必要か?」という議論である。

「原子力発電を停止したのに、大規模な停電は起きなかったじゃないか」

 東日本大震災の後、ほとんどの原子力発電が停止して、代替として火力発電が多く稼働した。
 旧来から日本では予備電力施設として火力発電が維持されてきた。信頼性に優れた発電方式であり、例えば核燃料が輸入できなくなるなど、不測の事態に備えて残してあったものである。
 これが多数稼働したことで、確かにCO2の排出量は大幅に増加してしまった。しかし、懸念されていた大規模な停電は起こらなかったし、節電を呼びかけることも最近では少なくなった。
 
 要するに我々には、原子力発電が生きるためにどうしても必要、と言うわけでもなかったわけだ。

 特に必須でもない原子力発電をなぜ再稼働したがるのか。それは電力会社の資産の問題である。
 全てを廃炉にしてしまうと、減価償却ができなくなるので、大幅な特別損失を計上しなければならなくなる。電力会社はそれが嫌なのだ。
 たったそれだけのことで、事故があれば確実に地域全体が汚染される、リスクの高い原発を稼働しなければならない、と主張するのは、あまりにも自己都合が過ぎる。

 この問題に関しては、確かに電力会社の経営が悪化して破綻ということになれば大問題だが、国が責任を持って全ての廃炉費用を計上すれば済むことである。そのために我々の税金を使うべきである。
 電力会社の経営や雇用に不都合が出るならば、国家が適切に処理するべきだ。
 おそらく我々国民も、廃炉のために予算を出すことはやむを得ない、と賛成の意思を示すのではないか? と私は考えている。

「原子力発電の計画的廃止を進めなければならない」

 そもそも原発というものは、「昭和」の技術である。
 古臭くてダサくて危険で時代遅れである。現在の時勢に合う発電方式とは言いがたい。
 別に私は某党のような熱心な反国論者じゃないし、原発ゼロなどというすぐには実現困難な意見を真面目に支持するわけじゃないが、自民党の言う「原子力発電の再稼働」には一切理解を示していない。

 僕に言わせればあんなものは昭和の古い技術であり、木炭火力発電みたいなレトロな代物だ。計画的に廃止をすすめることに何ら異議は無い。
 大概の日本人にはどうも「事故を起こさなければ安全」という考え方があるようだが、全く理解できない考え方である。
 人間はミスをするし間違いを犯す。事故は当然起こるものだ。事故を起こす前提で物事はなされなければならない。

「事故を起こしても、なお安全でなければならない」

 この考え方は特にロシア人が優れている。
 ロシア人は色々な文化と民族があって、その教育の度合いもまちまちだ。自分の名前すら書けない人もいれば、一流のエリートもいる。
 誰が物を使っても同じように使えることがロシア人にとって重要な価値観なのだ。

 日本人はともすれば他人を信用しすぎるところがあって、誰もが完璧に動く「だろう」と甘い見通しで機械を作ることが多い。
 私は日本製の生産機械を色々と見てきたが、全てにおいて共通しているのは「理想通りに動いていれば優れているが、ひとたび予想外のことが起これば深刻な事態を招く」ことだ。

 このような精神性で機械を作っている民族が、原子力発電所など運用できるわけもない、と私は日本人として自戒を込めて言いたい。

 事故を起こしてもなお安全、という領域に達していない物を使ってはならない。
 原子力発電は事故を起こせば終わりなのだ。

 そのことを我々は、福島から学んでいくべきだ。




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